不自由の中の自由

『アメリカの心理学者ロロ・メイはこう述べている。

創造性そのものが制限を必要としている。 

なぜなら、自分を制限するものと苦闘するところから

創造という行為は生まれるからである。」

 

一つ例をあげよう。 ある広告チームにテレビコマーシャルの制作を

任せる場合、安全に自由にやらせると彼らは非常に苦労することになる。

自由が多すぎると混乱するばかりなのだ。

だが予算が決められ、長さは30秒で、テーマは決まっており、

もちろん締め切りもあるとなると、必ずいい作品が出来上がる。

 

作家のジョセフ・ヘラーも同じことを発見した。

アイデアが私のところにやってくるのであって、私が無から

アイデアを生み出すわけではない。 アイデアは成約のある白昼夢、

方向性の定まった夢想の中から生まれてくる。

 

これは、私が広告のコピーを書く訓練を

何年かやったことがあることと関係しているのかもしれない。

コピーライティングでは、成約があるおかげでイマジネーションが

大きく広がった」

 

 わたしがこれまで見つけたもっとも効果的な制約は「時間」だ。 

締め切りがあると、人間は何とかやり遂げてしまうものなのである。

自分に制約を加えてみよう。』

 

(考え方のヒント;ジャック・フォスター)  

 

 

小学校のころに夏休みの宿題がありましたよね。

あれは、余裕があるとまずやることはできなくて、

1週間前とか3日前に慌ててやる人が大半だと思います。

 

私もそうでした。。

 

時間的制限は、子供のころに限らず、人間を動かす

一番のものだと思います。  

この「制限をかける」ということが、「創造」という

クリエイティブな世界で必須ということが面白いと思います。  

 

・俳句において、字数の制限があるからいい詩が書ける

・一枚というレポート枚数の制限があるから、趣旨のまとまった

いいレポートが書ける

・ミュージシャンが、音階という制限の中で、自分の感性をできるだけ

表現した音楽が創れる

・スポーツマンは、制限されたゲームのルールと戦うフィールドの中で

一番のパフォーマンスを出す

・ビジネスマンは限られた予算、経営資源の中で最大限効率化した

ビジネスモデルを考え、利益を出す  

 

考えてみると、いろいろな活動はありますが、

「制限」があるからこそ「創造」が生まれることが多いですよね。

逆に完全に自由という状態は秩序がなくなってしまい、

作品や活動を認識できないということでもあります。

 

不自由を受け入れ、新たな自由を手にしましょう。

今日も成功をお祈りしています、お読みくださり感謝します。

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