チェーン店の最終形を見て。。

先週末、近所のいつもの買い物、散歩コースにあって、最近改装したチェーン店舗、○野屋さんに行ってきました。 その周りには、○きや、松○など同列チェーンの競合がひしめいている地区です。   きれいな改装店舗に入ると、雰囲気はカフェ風になっています。 カウンター席には電源が整備され、いまのカフェに近い作りです。 入り口付近のレジカウンターで注文して席について、 「あれっ」 と思うと、前の店舗では客席の手元にあった、箸、七味、紅ショウガなどがないのです。 確認するとレジカウンター脇に必要付属品が固めてあり、必要なものだけ自分がその場でとるようになっています。 食事をし終わるともちろんセルフサービスで食器等を指定の場所に返しに行くシステムです。 「徹底した合理化」 だなと感じました。 これは、ホテルの朝食などにみられる、ほぼバイキングスタイルです。   と当時に、(働いている人には申し訳ないですけど)、   「今後、レジや食事提供も無くなる(機械化される)。。」 「人がいらなくなる。。」   と思ってしまいました。 たとえば自動で注文を取り、会計し(食券機のイメージ)、そのオーダーがキッチンの自動調理機械に連動して、食事が窓口からサーブされたら。。 「無人○野屋店舗」の完成です。 (まあ、機械が動かなくなったときのために一人くらいスタッフがいたとしても)   何が言いたいと言えば、チェーン店などの合理化が収益に結びつく形態のビジネスモデルは、こういう方向性になっていくと思うのです。   注文をとる、食事を作る・提供する、会計する、片付ける。   人の提供する価値が「これだけ」なら、この機械化の波にのまれてしまうでしょう。 いま○野屋などのチェーン店を例に出しましたが、これはかなりの範囲のビジネスに影響してくることだと想像します。   人が提供できる価値は、「それだけ」なのでしょうか。 正直店舗に入ったとき、どこかしら、 「さみしさ」 を私は感じました。 なぜなら、店と客とのコミュニケーションはほぼ0だからかもしれません。   そして、人の与えられる価値は「コミュニケーション」にあるのかもなと。   よくいく近所のおばちゃんのやっている八百屋さんでのたわいもない会話 小さいころよく行った駄菓子屋のおばちゃんとのやりとり よく昼に行く定食屋さんでの、マスターとの会話   それらは日常に彩(いろどり)をもたらしてくれる行為であり、 お客はそんなことを求めているからこそ、10円、20円安いとか、高いとかという意識より先に、その店に行き、その人に会いに行くのではないでしょうか。 それを完全に合理化だけしてしまったら、非常に彩のない世界になってしまいます。   「そのものに、そのサービスに価値を与えているものは何か」 「人間だからこそ、もの、サービスに与えられる付加価値は?」 という視点でもう一度ビジネスを見直していく必要があるのかもしれません。   情報ビジネスはまさにそういったことを行っていくビジネスです。 情報の本質を考え 付加価値の本質を考え コミュニケーションは何かを考え 人間だからこその価値を考え そしてこれらは最終的には、「ビジネスの本質」を考えていく行為でもあるのです。 そしてこの先5年、10年と人間の価値を左右するビジネスの本質を考えることでもあるのです。 このビジネスに是非参加してみませんか?   今日も成功を祈ります、お読みくださり感謝します。

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