「線になる」ことを信じる

前に何かの記事で読んで分類だけ記憶しているのですが、

一から積み上げで証明していく数学が〇式数学。
また一からの検証ではなく、ある範囲の論理性を確かめそれを発展されていく
△式数学というのがあるらしいです。

〇式はすべての論理性が担保されないと間違いとされるが、
△式はある範囲の論理性が証明されればそれを良しとして進んでいく学問
体系のようなのです。

私は人生においては後者の△式が適しているかなと感じています。

最初からすべて論理性を確保して進んでいく〇式のようなやり方は、
出発点が間違っていたり、一度論理性に躓くようなことが起こってしまった場合、前に進めなくなってしまうことも多くなるように感じます。

たとえば人生のある時期まではこういう信念で生きてきたが、
何かをきっかけに目が開けて視野が広くなる瞬間が都度あって、
そのたびに考え直して見たり方向性を変えてみようと思う事もあるわけです。

そんな時、今までやってきたことが決して間違いということではなく、
今回のことを気づくための一連の流れだったと思うわけです。

有名な事業家の言葉にもあります。

「今までまったくつながっていなかったドット(点)とドットがある日
急に線になる(線になることに気づく)。」

そのドットの打ち方は、人生のキャンバスの中で、
人の個性や環境によってつけ方や位置が違うわけで、
ドットが線になるタイミングも人によって違います。

また人生の早い時期にドットと線を見つけてしまう人もいるけど、
その後の人生でもっと広い範囲のドットを見つけ、
さらに線を描くことに気づくこともあります。

ドットを「経験や体験」、線を「幸せや成功」ととらえれば、
人といたずらに比べることなく、各自が自分の環境中で精一杯、
美しい線を引くためのドットを刻む努力をすればいいのかもしれません。

今日もドットを刻みますが、自分の中で線になる瞬間を楽しみに
過ごしたいですね。

今日も成功を祈ります、お読みくださり感謝します。

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