今までになかったお金(資本)の形

最近面白い概念を知りました、「共感資本」という概念です。

当たり前ですが、資本やお金と言うと、普遍的な形、性格を持ちます。

お金に色はない、ということです。

でも共感資本では、「色のある」お金、資本を創出します。


例えば普通の商売でいうと、商品を受け取り、代金を支払う「決済」というのがあります。

そこで取引の正当性・等価の交換が証明され、そこで相互の貸借は消失します。

しかし「共感資本」という中では、取引が行われた後、関係性が続くというのです。


ある人がある地域の1つの商品を買ったとします。

そこから関係性がスタートします。お互い顔の見える生産者と消費者の
関係ができてその後も関係が続いていく。

「あそこのこの商品が好きだから、私は買う。」

流通の整った市場というものが出来てから、無くなってしまってきている特対取引と
いうのを成立させていくというのです。

たとえば野菜でいうと、市場においては
、形が悪かったり色がよくないものが規格外としてはじかれて流通しません。

実際は味も変わらなく、形が不格好でもかえっておいしいものがあるのです。

そういった取引で生産者と消費者が直でやり取りするようになっていくというのです。

 

 

資本という観点でいうと、例えば株式投資において、
基本は利益、収益性が優先されます。

それが共感資本の元においては、

「その事業がどんなものか、自分の納得できるものか、社会性が高い会社か」

という事が優先されます。

自分が納得できるところにお金が使われる、そんな資本の仕組を目指します。


北欧の方では、電力のソース(共有源)を選ぶようなことがあると聞きました。

それは、石油による電力なのか、火力によるものなのか、
また自然エネルギーからなのか。

それぞれに電気の値段は違うけれども、すこし値段の高い自然エネルギーによる電力
を買う事は、消費者の意思として「環境エネルギー」を選んで買っているという事になります。

間接的に自然環境へ投資していることになるのですよね。


効率が優先されて(一時期にはそれは発展のために良かったのですが)、
市場というものが物事を普遍化して見えなくなってしまったものを
もう一度「見えるもの」に変えていくのが「共感資本」なのです。

 


日本を考えると、かつてから経済優先で、とにかくお金を稼げばいい、
自分の資産が増えればいいということで、ひたすらやってきました。

経済の効率という観点で、人々は都市という形で大きな経済圏と生活を作り出した。

商品もサービスも標準化されて、確かに安くていいものは市場に出ている。

ただそれらを提供している人、
特に生産者がだれなのかが見えずらくなっている。

でも経済的にある程度豊かになった現在では、本当に豊かになることとは何だろうか
という事をもう一度皆が考え直してきています。

経済的に豊かになる未来のために今を犠牲にしてひらすらに損得や効率を求めていく。

しかし物質的に満たされながらも、何故か満たされない思いを多くの人が抱えている、
この原因は何だろうと。

その中でもう一度、お金の使い方、それに伴う豊かな生活を考え直そうという、
「共感資本」という概念にすごく共鳴しています。

今日も成功を祈ります、お読みくださり心より感謝します。

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