「精神的」自由を知る

スポーツをすることは楽しいですよね。

私もサッカー、水泳、ビリヤードなど、人生の中で
競技者としてそこそこ長くかかわってきたものがいくつかあります。

そのスポーツにはルールがあり、
そのルールの中でスキルを磨き、勝負でいかに勝つか、
というのが面白いのだと思います。

勝てばもっと強い人、高い目標を目指し、
負ければ、試合を反省し自分に足りないものを次回に向け、
備えていく。

また違う言い方をすれば高みを目指すという事は、
自由度が高くなるということです。

一定範囲のルールの中で、
相手よりもスキルが高く、様々な選択肢や柔軟な思考をもっていること、
それがスポーツ競技を優位にすすめられることなのかなと。

 


人生も同じようなことが言えるのかもしれません。

まず自分という与えられた持分がある。
ある意味制約であり、ルールということかもしれません
(国、故郷、家族、最初の環境など)。
カードゲームで例えれば配られた最初のカードです。

その中で最初は学校などの疑似社会に触れながら
、行く抜くためのスキルをつけていくわけです。

そして一定年齢に達したとき、社会との接点を見つけ「仕事」として
社会に貢献できるようになっていくわけですね。

だけど往々にして社会は複雑でいろいろな要素が混じってきます。
他人の行為などの不確定要素や自分の感情のブレが作用して
現実が見えなくなったりもします。


こんな中で自由を手にするとはどういうことでしょう。

まずは社会的地位の確立だとは思います。
社会的に見て一定の地位(居場所)にいられることによって、
(特に収入の面などから)自由度は増すでしょう。

ただ真の自由は「精神的自由」を得られるものの見方のような
ものかもしれません。

さきほどのカードゲームの例でいれば、まず配られた初期条件と
自分の正当なスキル・レベルを把握していること。
そこに対して淡々とアクション出来ることが精神的状態であると言えます。

それは与えられた環境をしっかりと自分のフィールドだと把握できる能力、
他人との関係性と自分の感情などのバランスをとれる能力でもあります。

「一定の制約の中での自由を感じられる」ということですね。

今一度自分の成長を見据え、「精神的自由」を改めて考えてみたいです。

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