雰囲気の正体

先日ギタリスト同士が語り合う番組でこんなことを言っていて、
すごく共感しました。

「音楽にはウソが含まれない、というか含むことができない。
音を出せばその人がそのまま出る。ごまかしがきかない。」

「Am/Dmなどマイナーコードなら悲しいという感覚・雰囲気があって、
これは世界共通言語になっている。
これは学校で教わる云々ではなく、コードを知ってその雰囲気が分かれば
だれでも感じられるようなことである。」

そして逆に通常の言葉(会話)の中にはウソ、ごかましのような部分が常にあって、
それがトラブルのもとになったりする。

Face to faceでの音楽のセッションは相手がそのまま見える
コミュニケーションなのだと。


確かに思い返してみて、私の青春時代にはまったあるバンドの音楽性、歌詞の共感性、
そしてバンド全体が生み出す透明感みたいものは、そのバンドマンたちそのものを
反映していました。

また私の好きなある歌い手は、どんな曲を歌っても「その人の歌」にしてしまうような
人で、その裏にあるのはボーカルの技術だけでなく、
多分な感情を理解できる繊細なその人のパーソナリティなのかなとも感じます。

そしてそれらが音楽を通してぱっと外に出る(出てしまう)のですね。

 


我々に落とし込んで考えてみても、よく、

「40を過ぎたら顔が履歴書」

と言われるように、今までの人間性が顔にでるものかなと感じます。

物事を素直な心で見つめ真実を述べていくこと
権威にへつらうことなく、時には皆の反対に行くことを恐れない勇気をもつこと

そんな正攻法を貫き、すがすがしく生きていきたい、またそういうものが自然に
でたらいいなと思いました。


今日も成功を祈ります、お読みくださり心より感謝します。

自分を信じる

生のバイブル的な存在で、事あることに読み返している、
アイデアの生み出し方の本があります。

皆さんもそういったものがあるかとは思いますが、
私にとってこの本は久々に読み返してみると、再発見がいくつもあります。


「アイデアを生み出せる人間は、
アイデアを生み出せるということがわかっている人だ」

「自分が楽しい状態にある時は良いアイデアがどんどん出てくる」

「世界の無数のアイデアはあなたに発見させるのを常に待っている」


言われてみればもっともな真理ですが、まず出来ることを自分で自覚していること、
それは自分を信じていること。

さらになにより自分の感性が発露する楽しい状態にしておくこと。

そしてまだこの世に完全なアイデアなどはなく、発見されるべきアイデアは
無数に世界にあるということ。

これらは人生、すべての物事に通じることかとも思います。


今まで私たちは義務教育などの教育課程では「ただ1つの正解」を探す訓練を
し続けてきました。

そして社会人になっても、注目されやすい「成功者」やわかりやすい「セレブリティ」
などを唯一の成功のモデルとしてメディアなどから影響を受けています。

でもアイデアが無数に存在するように、それぞれの人にとっての成功のモデルは、
無数に存在すると思います。

それにたどり着き、それを選択できるためには「現在の自分を信じる」ことが
できるかにかかっているように思います。


世界に無数にあるアイデア(各人にとっての正解)は今もあなたに発見されるのを
待っているのです。

常に自分を楽しい状態にして、自分のアイデアを見つけていきたいですね。


今日も成功を祈ります、お読みくださり心より感謝します。

甦る「接待」マインド!?

電脳戦でAI vs 将棋棋士の勝負が注目されていました。

少し前まではアマチュアトップレベルまでが機械プログラムの限界と
されていた将棋でも、トッププロでも勝敗が危うい、もしくは負け越している
ような事態になってしまったようです。

その中でAI将棋を分析した記事に面白いものを見つけました。

「AIはいまだに『接待将棋』のようなものはできない(苦手分野だろう)」


接待将棋とは、例えば将棋の強い部下が将棋の弱い上司と対戦したとき、
本来なら完膚なきまでに勝ってしまうところを、勝負は接戦にしつつも、
最後は上司に勝たせるような勝負展開にもっていくような将棋手法です。

難しいのは力を抜いていることを相手に悟られないように、さらに接戦にして、
最後は一手差(ギリギリ)で負ける、ようにコントロールすることです。


とにかく最短ルートで勝つとか、あらゆる勝つ可能性を追及して(パターンを検索)、
相手を負かすというのはできるけど、接待のような「相手に合わせた」きわどい
勝負展開などはAIプログラムではなかなかできないということですね。

 


これから連想したのが、大学の授業です。

そう、その(少なくとも私の通ったA大学のB学部で)授業のつまらなさです。

正しいことは教えているけれども、基本的に一方的で、自分の世界だけで
語られる世界は、生徒のレベルも考慮されていない、こちら目線にもなっていないので、
聴いていてほとんど興味がわかないものでした。

でもそれがTV番組でやっているような「世界一受けたい授業」のようなものであったら、
生徒が興味を惹くような話題から入っていって、そこから少し深い理論にはっていくような
展開の授業になるでしょう。

自分と相手との距離を見て、難しいものを紹介するのでも易しい例を上げてから入っていく。

まさに上記の「接待将棋」のような手法かとも思います。

 


AI時代において、人間にこそできるものが「接待〇〇」のようなことだとも
言えるでしょう。

「相手に合わせたサービス」
「相手に合わせた商品」

そんなオーダーメード的な価値の提供が、
この時代を生き抜くヒントになるのかもしれませんね。


今日も成功を祈ります、お読みくださり心より感謝します。

ダイレクト・トーク

ちょっと前に知人が二人ほど自動翻訳ソフト、〇〇トークを購入していました。

彼らは仕事の都合上、海外に赴任せねばならなくなってあまり語学が得意でなかったので、翻訳ソフトが必要とのことでした。

最初は画期的なソフトの機能に興奮気味でしたが、しばらくして会ったらそれをあまり使っていないようで、それぞれその土地の言語を学びなおしていました。

私も中国語が話せないのですが、仕事上中国に行くことがありますが、
業務中は優秀な通訳の人がいてくれたりして困りませんが、
例えば2次会でバーなどで個人と話すときなどは、直接対話できたほうがいいなと感じます。

Google翻訳のアプリをスマホで使って、それ経由で相手と意思疎通はできますが、やはり機械経由の対話はもどかしく感じます。


翻訳ソフトなどが進んで多言語の能力はそれほど必要なくなるようなことが言われていますが、やはり「直接対話」ができることの重要性は変わらないと思います。

メイン言語である英語・中国語に加え、訪問するその土地の簡単な挨拶の言語を習得することのメリットは多くあると思います。

また言語を知ることは同時にその国の文化を知ることにもつながるからです。

私たちも日本で海外の人に片言の日本語でも話しかけてくれると嬉しくなりますからね。


この「直接対話」ということころはコミュニケーション手法においても拡張できます。

仕事の通信の手段として、対話、電話、メール、SNSなど様々な手段があります。

海外と多く接する仕事柄、私も大事な案件では、やはり現地へ赴いて直接対話をすることが多いです。

また経費をかけられないときは、主旨はメールを打つにしてもそのあと電話でもフォローアップをするように心がけています。

この間メールを中心に連絡をとっていたある方が、先方とだいぶ認識がずれていたようで、こちらが正確に文面を書いたつもりでも、文面のみで相手にすべてが伝わるのはかなり難しいと認識されたようです。


自分の言葉で、直接対話することの重要性を今一度かみしめてみたいです。

今日もも成功を祈ります、お読みくださり感謝します。

「人生を変える」言葉

ある尊敬する事業家が起業するときに参考にした
中村天風氏の言葉がありました。

ちょうどその時その方は自分の中で運気が落ちている時期
だったそうです。


「外に起こった出来事の解決を急ぐな」
「まず自分の心を積極的にせよ」


この言葉を思い出し、まず自分の心を整え積極的にすることを第一
考え、その時期での起業を思いとどまったそうです。

 


少し話しが変わりますが、幕末・明治維新の志士の西郷隆盛が、
島流しに合った時期がありました。

確か当時の殿様との相性が悪くなってしまい、
一時期、社会から追放されていたのです。

その時に西郷隆盛は自分を腐らせることなく、さまざまな書籍を
読んだりして自分に力を蓄えたと言います。

後に維新の志士として明治政府の幹部に躍り出ますが、
その島流しに合ったこと自体も運がよかったと振り返ったそうです。

そのころ幕府が優勢で、様々な事件で維新の志士が殺されたりしていました。

そのころに自分が江戸にいれば命が無くなっていたかもしれないからです。


総じて西郷隆盛は、(中村)天風式態度で当時望んでいたかもしれません。

「外に起こった出来事の解決を急ぐな」
「まず自分の心を積極的にせよ」

島流しという自分の不幸(外で起こった出来事)にとらわれることなく、
自分を整え(心を積極的に)、再起のための力を蓄えたのです。

 

 

私も現在、時期的に少しバイオリズムが低いところにあると思えるのですが、
心を積極的に日々力を蓄えたいと思います。

今日も成功を祈ります、お読みくださり心より感謝します。


P.S. 別記事:天運と地運の話もご参考ください

天運と地運の話

ある尊敬する勝負師から天運(てんうん)と地運(じうん)の話を聞きました。

勝負において自分ではコントロールできない天運(めぐり合わせ)と、
日々の鍛錬、練習の積み重ねなどで高めていける地運(積み重ね)があるという事です。

勝負においては、自分でなんとかできる地運を大事にし、心を整え、
天運を待つ、というスタンスが常勝パターンという事でした。

 

ビリヤードにおいてその2つの運が働いた瞬間をとらえられたときがありました。

私はあるトーナメントの決勝戦において、実力は互角、互いに一進一退の
攻防を繰り返していました。

ただ勝負後半、どうも自分の番が回ってきたとき、球の配置が悪い、
いわゆるツキがなさそうな状況が連発していました。

ビリヤードは基本は自分のショットがミスしたとき相手に順番が回るゲームなのですが、
その回ってくるときの玉の配置が続けて悪くなることがあるのです。

そんなとき私はこの地運、天運の話しを思い出し、冷静になって、
その時の最善の選択で玉を処理し続けていました(ショットははいらなくても
相手が次に撞きにくいように配置をもってくるセイフティーショットなど)。

次の玉を取った方が勝負を制すという最終段階において、
相手が手番を握っていましたが、最後の最後プレッシャーで最後の9番(決め球)の
ショットを外したのです。

次に回ってきた私の配置は。。

これ以上ないというベストの配置。

そのまままっすぐつけばポケットインできる簡単な玉の配置が回ってきて、
私はそのまま勝利を収めることが出来ました。


振り返ってみると、勝負後半で玉回りが悪くなってきたとき、
自分の感情をコントロールし(感情を乱すことなく)
、地運(自分)を信じ天運を待つことができたからだと分析しています。

そして最後に天運をつかむことが出来たように思うのです。

 


これは人生においても同じことが言えるように思います。

どんなことに対しても、
何故かツキがないと思えるとき、やることが空回りしてしまっているように思える時でも、
自分を腐らせることなく淡々と行動をし続けられるかが問われているように思います。

そういったことで待ち続けた人には、いづれ天運が回ってきて、
すっといい状態に入ることが出来ます。


日ごろの努力(地運)を信じ、ゆったりと天運を待ちたいと思います。

今日も成功を祈ります、お読みくださり心より感謝します。

「精神的」自由を知る

スポーツをすることは楽しいですよね。

私もサッカー、水泳、ビリヤードなど、人生の中で
競技者としてそこそこ長くかかわってきたものがいくつかあります。

そのスポーツにはルールがあり、
そのルールの中でスキルを磨き、勝負でいかに勝つか、
というのが面白いのだと思います。

勝てばもっと強い人、高い目標を目指し、
負ければ、試合を反省し自分に足りないものを次回に向け、
備えていく。

また違う言い方をすれば高みを目指すという事は、
自由度が高くなるということです。

一定範囲のルールの中で、
相手よりもスキルが高く、様々な選択肢や柔軟な思考をもっていること、
それがスポーツ競技を優位にすすめられることなのかなと。

 


人生も同じようなことが言えるのかもしれません。

まず自分という与えられた持分がある。
ある意味制約であり、ルールということかもしれません
(国、故郷、家族、最初の環境など)。
カードゲームで例えれば配られた最初のカードです。

その中で最初は学校などの疑似社会に触れながら
、行く抜くためのスキルをつけていくわけです。

そして一定年齢に達したとき、社会との接点を見つけ「仕事」として
社会に貢献できるようになっていくわけですね。

だけど往々にして社会は複雑でいろいろな要素が混じってきます。
他人の行為などの不確定要素や自分の感情のブレが作用して
現実が見えなくなったりもします。


こんな中で自由を手にするとはどういうことでしょう。

まずは社会的地位の確立だとは思います。
社会的に見て一定の地位(居場所)にいられることによって、
(特に収入の面などから)自由度は増すでしょう。

ただ真の自由は「精神的自由」を得られるものの見方のような
ものかもしれません。

さきほどのカードゲームの例でいれば、まず配られた初期条件と
自分の正当なスキル・レベルを把握していること。
そこに対して淡々とアクション出来ることが精神的状態であると言えます。

それは与えられた環境をしっかりと自分のフィールドだと把握できる能力、
他人との関係性と自分の感情などのバランスをとれる能力でもあります。

「一定の制約の中での自由を感じられる」ということですね。

今一度自分の成長を見据え、「精神的自由」を改めて考えてみたいです。

相手を「聴こう」

Char meets 〇〇という番組を最近見ています。

日本のロックギタリストの走り的な存在のCharさん。

ギターもすごくうまいけど、人と話したりセッションしたりするのが上手ですね。

ロックギタリストとの交流が多いけど、私が好きなのは異分野との交流の回です。

ボサノバやアコースティック系のギタリストとの交流。

トークでもギターセッションでも相手に合わせていける幅の広さ。。

相手の話や音をよく聞いて、自分を重ねていくというかな、
それが本物のギタリストであることの証明かなと思います。

この間読んだ営業系のビジネス本で、

「売れている営業ほど、自分ではなく相手に話をさせる(話を引き出す)」

というのがありました。

それについて私が会社員の営業時代、反面教師がいたのを思い出しました。
当時のチームの課長、上司でした。

とにかく強権、自分主義、相手を丸め込む、絶対相手に口を挟ませない会話。。

自分は自称アニキと言って、部下は恐怖で支配していました。

自分の営業トークが完璧にいったとかよく言っていたましたが、
後から相手の会社担当者は病気になってしまったこともありました。

彼にとって相手との対話などはみじんも頭になかったのでしょう。

ユダヤ人の教えに、「耳と口の話」というのがあるそうです。

人間耳は二つ、口は一つです。

人と会話するときは、話す(口)ことの2倍聞く(耳)のがコツだ、というものです。

世界中の経済界でトップに君臨する民族は本質をつかんでいて、
子供のころに教わっているんですね。

「人を感じる力、話を聞く力」に意識を向けてみたいです。

今日も成功を祈ります、お読みくださり心より感謝致します。