集中するための絶対「4プロセス」

私がビリヤードでつかんだ集中のための明確な4プロセスがあります。

①よくみろ(状況把握
②どうする(作戦
③こうする(シミュレーション
④そうしろ(実行


自分の番が回ってきて、
ビリヤード台で今からプレーする(玉を撞く)ことを想像して見てください。


①まず台の状況を確認します。

玉の状況、他のボールで穴がふさがっている玉や、
ボール同士がくっついている所などトラブルボールの把握をします。

キュー先(タップ)につけるチョークが転がっていたりしないか、
倒れて置かれていたりしないかなどもチェックします。
(こういった細かいところが後々のショットの精度に影響したりします)


②次に作戦を立てていきます。

さきほどのトラブルボールを中心にどうショットを組み立てていくかを
考えていきます。
(どこかの時点でそのトラブルを壊し(崩し)ながら、球を処理していきます)

さらに、
三個先の撞く玉(手玉)ポジションを考え、ボールの撞く角度、回転、
強さなどを決めます。


③三番目に、その決めたショットのシミュレーションをします。

ショットした後、的玉をポケットして手玉が理想的な状況に
来るかを頭にありありとした映像としてイメージするのです。


④最後のプロセスで実行します。

ここでは玉を正確(位置、回転、力加減)に撞く以外の思考は一切入りません、
本当に実行あるのみです。

すべての作戦とイメージが固まったのでもう迷いを持ってはいけないのです。

仮にうまくいかないイメージが湧いたとしたら、
最初の①からのプロセスを「やり直して」、
迷いを断ち切る状態にしてショット(④)に備えるのです。

 


これはビリヤードだけのことではないと思っています。

実は自分の実行するすべてのことに対しての「集中法」となります。

①②は多くのの人が考えていますが、③④が忘れがちです。

ひたすら実行だけをする人、言うなればがむしゃらに仕事をしてしまったりする
事を指すかもしれません。

成功のイメージを持たないまま作業や業務を行っても、大抵はうまくいきません。

そして④で大事なところ、①~③で十分に検討してイメージまでもったことについて、
一切の迷いを捨てるという事です。

行動に疑いをもっていたらどんなことも成功はおぼつかないですよね。

十分な状況把握(①)と作戦(②)を立てたのだから、④の段階では、
行動そのものに焦点が当たっているのです。

もう④の段階では「実行あるのみ」なのです。

ちょっと油断すると私も③④がおろそかになることがあるので、
「4つの集中のプロセス」を思い出して、日々確信を持った実行をしたいと思っています。

 

今日も成功を祈ります、お読みくださり心より感謝します。

「精神的」自由を知る

スポーツをすることは楽しいですよね。

私もサッカー、水泳、ビリヤードなど、人生の中で
競技者としてそこそこ長くかかわってきたものがいくつかあります。

そのスポーツにはルールがあり、
そのルールの中でスキルを磨き、勝負でいかに勝つか、
というのが面白いのだと思います。

勝てばもっと強い人、高い目標を目指し、
負ければ、試合を反省し自分に足りないものを次回に向け、
備えていく。

また違う言い方をすれば高みを目指すという事は、
自由度が高くなるということです。

一定範囲のルールの中で、
相手よりもスキルが高く、様々な選択肢や柔軟な思考をもっていること、
それがスポーツ競技を優位にすすめられることなのかなと。

 


人生も同じようなことが言えるのかもしれません。

まず自分という与えられた持分がある。
ある意味制約であり、ルールということかもしれません
(国、故郷、家族、最初の環境など)。
カードゲームで例えれば配られた最初のカードです。

その中で最初は学校などの疑似社会に触れながら
、行く抜くためのスキルをつけていくわけです。

そして一定年齢に達したとき、社会との接点を見つけ「仕事」として
社会に貢献できるようになっていくわけですね。

だけど往々にして社会は複雑でいろいろな要素が混じってきます。
他人の行為などの不確定要素や自分の感情のブレが作用して
現実が見えなくなったりもします。


こんな中で自由を手にするとはどういうことでしょう。

まずは社会的地位の確立だとは思います。
社会的に見て一定の地位(居場所)にいられることによって、
(特に収入の面などから)自由度は増すでしょう。

ただ真の自由は「精神的自由」を得られるものの見方のような
ものかもしれません。

さきほどのカードゲームの例でいれば、まず配られた初期条件と
自分の正当なスキル・レベルを把握していること。
そこに対して淡々とアクション出来ることが精神的状態であると言えます。

それは与えられた環境をしっかりと自分のフィールドだと把握できる能力、
他人との関係性と自分の感情などのバランスをとれる能力でもあります。

「一定の制約の中での自由を感じられる」ということですね。

今一度自分の成長を見据え、「精神的自由」を改めて考えてみたいです。

習慣化という「習得技法」

ある社長から教わったことがあります。

その社長は運動のために腕立て伏せを習慣にしていました。

「腕立て伏せ100回を目標にするとします。

だけど普通の人がいきなり100回はできませんよね。

だから最初は10回*10セットとするのです、さらに10セット一気にやる必要もなく、
一日の中で腕立て10回(回数)を10回(機会)トライすればいいのです。

それを「習慣化」すればかならず一日の中でで100回やることになり、
いつの間にか続けて100回できるようになっているものなのです。」

私はそれを英語の勉強に当てはめて応用させました。

英語の勉強で大事な基礎のひとつに、
ひたすら英語を聴く「Listening」があります。

最初のうちは四六時中英語のシャワーを浴びていると
自然に英語の音になれていくからです。

そして音が分かるようになると、それが自然に文章を書くことや話すことにもつながっていくのです。

英語の必要性を感じていましたが、
そのころ大学時代で他にもやりたいことや遊びたいことがたくさんありました。

そこで上記の社長の細切れ時間の積み上げの活用です。

自分のメインで活動している「以外の」すべての時間に焦点を当てます。
すべての移動時間、自分の耳が空いている時間は
英語のListeningに充てることにしたのです。

例外は作らず、例えば毎朝の通学の行きかえりや
自習室で一人でテスト勉強をしている時間。

また喫茶店で本を読んでいるときも、耳は空いているのでイヤホンをして、シャワーのように英語に触れるという事です。

以後これは15年以上続く「習慣」になりました。

いつの間にか通常のビジネスレベルでは困らない英語力がつくようになっていたのです。

何かをやろうと思った時、いきなり一日の大半をそのことに使うのは、
肉体的にも精神的にも大変です。

だから、そのやろうとしていることを「細切れ」にして、日常の瞬間瞬間、いうなれば 空き時間に落とし込み、それを「習慣化」させるのです。

習慣化された行為は一定時間がたったとき、累積効果で思いがけない成果を生むものです。

私の場合、英語のListeningに応用した例でしたが、
あらゆる活動に応用が利くと思っています。

自分の高めたいことを「習慣化」させて、年月を見方につけて(長期的な達成を目標にして)結実させていきたいです。

今日も成功を祈ります、お読みくださり心より感謝します。

信じ切る

勝負ごとにおいて「自分を信じ切れるか」が非常に重要です。

私は小さいころから将棋をやっていたので、勝負というと将棋に結びつきます。

プロの試合を見ていた時、その将棋を解説しているプロがこんなことを
言っていたのが印象的でした。

勝負をしているとき棋士として大切なことは、
自分の読み筋(勝負の先の展開の予想)を「信じ切れるか」どうかだということです。

戦略を立てる序盤(勝負の最初の局面)、水面下の様々な駆け引きがあり、
自分がある程度有利に展開できる展望が見えて中盤に臨みます。

実力が拮抗している場合、
ただ相手の考えていることもあるので、大抵局面は思い通りにはいかず、
難しい局面が何度も出てきます。

有利かと感じていたら、不利になっていたり、
不利だと思っていたら、有利になっていた。

その中で常に最善手を指し続けるのは至難の業です。

そんな状況の中で唯一のよりどころが「自分の読み筋」に対する信頼という訳です。
その自信が揺らいでしまえば、あっという間に相手に飲み込まれてしまうでしょう。

将棋をよく知っている、実践を良く積んでいるという事ももちろん大事ですが、
最後の最後は精神論、「自分を信じる」という事なのですね。

社会生活においても、同じ感覚が重要に思います。

人生の局面において一つ一つが判断や選択の連続です。

どんな学校に行くか?
どんな人と付き合うか?
どの会社に入るか?

などの方向性を決める大きなものから始まり、
日常の一つ一つの小さな瞬間の判断と選択の積み重ねが今の自分を作っています。

現状がいい状態であっても、悪い状態だと感じていたとしても、
今までの思考と実践の積み重ねで今があることを思い、
自分を信じ、行動することが大切ですよね。

今日も成功を祈ります、お読みくださり心より感謝致します。

「価値」を見抜こう

日本一の投資家と呼ばれた方に教わったことがあります。

彼はまずビジネスである程度の資産を築いた後、
個人投資家の道を歩みました。

まず投資したのが株式。
彼の資金で大株主になれる企業を軸に、PERで割安な株への投資で成功します。

その後は固定資産投資。
彼の地元の郊外にテーマパークを作りました。
レジャー時代になることを少し前に見抜いた彼は、
大々的に投資し成功を収めました。

その後、金(きん)に投資します。
あらゆる資産が値上がりしていることを見抜いた彼は、
バブルで上がっている資産と比較し、確かな価値の保証されている金は
今後も確実に上がっていくだろうという目論見でした。

彼の話を聞いていると、 確かな 「目利き 」 の力があることに気づきます。

時代的に少し前ではありますが、世間のブームの少し後ろから冷静に見て、
自分の目で価値を見抜いて確かなものに投資をしていたのです。

現代でも上記の資産は有望な投資先でもありますが、
その他にも魅力的な投資対象がまだあるように感じています。

それは、自分にとって「楽しい」ものへの投資です。
時間という意味でもお金という意味でもです。
趣味などへの投資もこれに当たるでしょう。

また人に好かれる人間になれるような行為への投資です。
これは主に「人に親切にする」ことのようなものですが、
お金の使いどころを見極め、人を喜ばせるようなことに対する投資も同様です。

こういったことは直接的に価値を生み、
リターンとして自分の幸福度を増してくれるように思います。

様々な視点で、本質的な「価値を見抜き」、
人生が豊かになる投資を重ねていきたいです。

今日も成功を祈ります、お読みくださり心より感謝します。

見て(技を)盗む

小学校のとき所属していたサッカークラブのコーチから、
大事なことを教わりました。

サッカーの技は「見て盗め」。

上手いやつのプレーをよく見て、それを盗んでいくのが基本だということでした。

私はその監督から1つ、チームで一番ボールの扱いがうまかったやつらから2つ、
技を見て学びマスターすることができました。

その後も、将棋をやっていたときも、ビリヤードをやっていたときも、
うまい人のプレーを見て学ぶことは基本になっていたので技を習得することができました。

仕事においてもこれは同じかなと感じています。

社内の資料を見事に作ってしまうPC使いの達人。
流れるように美しいプレゼンテーションをする講演家。
誰とでも一瞬で仲良くコミュニケーションをとってしまう営業のエース。

身近に見て学べる存在はいたるところにあります。

私もそうだったのですが、
何かすごい理論体系を学校で一から学ぼうとしたり、
成功しているといわれる一流人にあこがれてみたり、
何か高尚なことをやりたくなってしまう事が良くあります。

でも本当は身近にある多くの教材に気づくことがもっと大事なことかな
と思うのです。

そして日常、あらゆることに対しての感度を上げておくこと、視野を広げる準備をすることが、座学なのかもしれませんね。

今日も成功をお祈りしています、お読みくださり心より感謝します。

「線になる」ことを信じる

前に何かの記事で読んで分類だけ記憶しているのですが、

一から積み上げで証明していく数学が〇式数学。
また一からの検証ではなく、ある範囲の論理性を確かめそれを発展されていく
△式数学というのがあるらしいです。

〇式はすべての論理性が担保されないと間違いとされるが、
△式はある範囲の論理性が証明されればそれを良しとして進んでいく学問
体系のようなのです。

私は人生においては後者の△式が適しているかなと感じています。

最初からすべて論理性を確保して進んでいく〇式のようなやり方は、
出発点が間違っていたり、一度論理性に躓くようなことが起こってしまった場合、前に進めなくなってしまうことも多くなるように感じます。

たとえば人生のある時期まではこういう信念で生きてきたが、
何かをきっかけに目が開けて視野が広くなる瞬間が都度あって、
そのたびに考え直して見たり方向性を変えてみようと思う事もあるわけです。

そんな時、今までやってきたことが決して間違いということではなく、
今回のことを気づくための一連の流れだったと思うわけです。

有名な事業家の言葉にもあります。

「今までまったくつながっていなかったドット(点)とドットがある日
急に線になる(線になることに気づく)。」

そのドットの打ち方は、人生のキャンバスの中で、
人の個性や環境によってつけ方や位置が違うわけで、
ドットが線になるタイミングも人によって違います。

また人生の早い時期にドットと線を見つけてしまう人もいるけど、
その後の人生でもっと広い範囲のドットを見つけ、
さらに線を描くことに気づくこともあります。

ドットを「経験や体験」、線を「幸せや成功」ととらえれば、
人といたずらに比べることなく、各自が自分の環境中で精一杯、
美しい線を引くためのドットを刻む努力をすればいいのかもしれません。

今日もドットを刻みますが、自分の中で線になる瞬間を楽しみに
過ごしたいですね。

今日も成功を祈ります、お読みくださり感謝します。

次世代を意識してみる

私が小学生のころ、高度経済成長の結果、環境がものすごく汚染された
ニュースをやっていました。

確か○○病などの公害病も深刻に報道されていました。

学校でも生物多様性の破壊やその他の環境問題のことなどを教わって、
経済最優先だけではいけないと印象的だったのを覚えています。

すべての経済活動は地球の資源を使って行われている。
その資源は無限ではない、有限で大切なもの。
その資源はこれからの将来にわたり長く利用されるものである。

自分の世代だけでなく、次世代のことにも思いを馳せなければ
いけないと気付いた時代でした。

少し話しは変わりますが、
ユダヤ人の教えが素晴らしいというのは聞いたことあると思います。

ユダヤ人は頭がよく、人間関係術にもたけていて、
どの分野でも、特に経済的に成功する人も多い。

そのユダヤ人が自分の子供に遺すのはその獲得した財産ではなく、
財産を気づく方法、教育だというのですね。

物や財産はなくなってしまうが、教育は生きている限り、
子供の中に残り続けるからです。

私も若いころは自分のことで精いっぱいだったように思いますが、
子供が生まれてから、次世代をより意識するようになりました。

そして私の遺したいものをあえて挙げるとすれば、それはもの・財産ではなく、
やはり考え方・生きざまのようなものでありたいと考えています。

そのようなものであれば子供は自分の個性に合わせて参考にして、
自由にアレンジを加え、人生を生き抜くことができますよね。

もっと言うと、実は社会にも遺せるものがあることにも気づきます。

それは学校などの一見崇高なものだけでなく、例えば自分の考え方・理念などの
情報(本、メディア)やちょっとした芸術作品・発表のようなものも
含まれると思います。

日々様々な事に追われがちではありますが、少し視点を広く見て
次世代まで思いを馳せると色々なことが見えてきますよね。

そんなことも日常のアクションの中に取り入れていきたいと思います。

今日も成功を祈ります、お読みくださり心より感謝します。

疑似瞑想時間の発見

最近「瞑想」が大事ということが言われています。

一日一回でも、静かに一人の時間をもつ、ということが精神の安定に
すごく効果がある、ということはわかります。

最近それと同様な効果を持つものを再発見しました。

私にとってそれは(一人)ビリヤードだったり、水泳だったりします。

一人だと勝負が除かれるので、
一人淡々とテーブルにある球を落としていくことになります。

そんな行為は瞑想に近いなと感じます。余計な思考は入らないし、
自分の狙いと次のポジションに集中している状態、
それ以外の日常の雑念が入る余地はありません。

同様に水泳の時もそうです。

効率の良い自分のペースのゆっくりと泳いでいる時は、
自分が泳ぐ水の音とプール上に流れている音楽が聞こえるくらいで、
余計な雑念は入りません。これも瞑想に近いと感じています。

つまりこれらは、自分の思考がうまく切り替わった時、
一人の世界に没入したときに起こります。

それは日々のとらわれの中に、
ちょっとした自由を見出せるからなのかもしれません。

という事は、その人にとってのあらゆる趣味のような「息抜き」的行為が
一つの瞑想とも言えるでしょう。

私は仕事でデスクワークが多い(静的なこと)ので、
読書(静的)のようなものもいいのですが、
上記のような動的なものが切替(瞑想)にすごく相性がいいようです。

上手く疑似瞑想を使って、頭をリフレッシュさせていきたいですね。

今日も成功を祈ります、最後までお読みいただき感謝します。

書き出し、ビジョンボード、トラッキングの話

目標設定のやり方については色々な方法があるかと思います。

会社などの組織体でも、期初に予算を立てる。
実績を集計して分析し予算達成の対策を練る。
期末に今年を振り返り来年度の予算を立てる。
時に中長期(3年、5年、10年)のプランも立てる。

世界的なカリスマコーチから、
個人目標に対しても同じ流れを作るべきだと教わりました。
(個人だと大多数の人がやっていないことのようです)

まず(個人)目標を紙に書く。
その紙を自分が常に見えるところに置いておく、もしくは持ち歩く。

さらにビジョンボードを作り、理想とする自分のイメージをピン止めする
(たとえば旅行達成が目標なら行きたいところの写真を貼るなど)。
そして必ず朝毎日そのビジョンが達成した状況を思い浮かべ、
自分の感情が高まるのを感じパワフルに一日をスタートする。

そしてもう一つ大事なのが、
自分の行動をトラッキング(追跡)することです。
習慣・目標にしていることを必ず、一日ごとにやったか、
やらなかったかを追跡して、目に見える形で記録する。

この「目に見える形で」目標を書きだすという点が重要です。

すべては人間の思考が作り出すものですから、
その思考が日々続くように文字・イメージ・進捗度を見える化
するわけです。

19の時、29の時、それぞれ5年、10年くらいの目標を書き出し、
ほぼほぼ目標はクリアできているなと感じています。

次の十年はさらなる高い目標を掲げています。

目の前のことに追われがちな日常に、些細なことに気にしてしまう日々に、ヴィジョンを掲げ邁進していきたいですね。

今日も成功を祈ります、お読みくださり心より感謝いたします。